青春のビリー・ジョエル

  • お正月の帰国中にiPodが壊れて日本に置いてきたので、音楽はパソコンのiTunesから直接聴いている。移動中の音楽鑑賞や英語学習はできないが、ジゴクの長時間通勤などないのでこれで特に不自由はしていない。
  • シャッフル機能はアルバム単位にしている。曲単位シャッフルは意外性があって面白いが、あまりにも「鑑賞」を蔑ろにしている気がするからだ。曲そのものだけではなく、曲順、構成も含めて「アルバム」という1つの作品が作られているのである(その意味ではLP時代の作品については、アルバム名を「A面」と「B面」に分けるとジャズ喫茶的になって面白そうだが、いかんせん量が多くて編集がめんどくさい)。
  • 僕のハードディスクに格納されている音楽は圧倒的にジャズが多いのであるが、ロック、ポップスやクラシックも少なからず入っており、シャッフルするとまあまあバランスよく混じってくる。そして昨夜Strategyのアサインメントをやりながら聴いていたらビリー・ジョエルの”52nd Street”がかかった。
  • 僕がビリー・ジョエルを夢中になって聴いたのは洋楽入門期の中学〜高校時代である(よくあるパターンだと思うが、たぶんビートルズの次ぐらいに手を出した)。リアル・タイムでは”The Nylon Curtain”以降なのだが、レンタルレコード店でそれ以前の全作品を借りてテープにダビングし、何度も何度も繰り返し聴いたものである。ある時期集中的に聴いた音楽は、時間がたって聴き返したときに、その頃の記憶や感覚を呼び覚まさせることがある(脳の働きって本当に不思議だ)。昨夜も1曲目の”Big Shot”から”Honesty”、”My Life”と聴きすすむにつれて、高校生のころの”青い”感覚が蘇ってきた。北アルプスの林間学舎、文化祭、男子クラスの悲しさ、高校野球の応援、そして(情けない思い出しかない)片思いとか。ちなみにビートルズを聴いたときに僕の頭の中に広がるのは大学時代の安アパートでの麻雀である(このあたりのエピソードは、最近ぱったり途絶えている「大野荘物語」でいずれ書きたいと思っている)。
  • 久々に聴いて、ビリー・ジョエルが稀代のメロディー・メーカーだということを再認識した。その後片っ端からロックの名盤を聴きあさった末にジャズに目覚め、以来20年以上もジャズを聴き込んできて良くも悪くも「大人の耳」になってしまった僕に、ビリー・ジョエルポール・マッカートニーの甘めの曲想は少し物足りなくなっていたのだが、こうしてあらためて聴いてみると、その美しく、心を揺さぶるメロディーは発表から30年近くたった今となっても色褪せていないのであった(それにしてもBOSEのヘッドフォン”TryPortの音の素晴らしさと言ったら!!)。
  • ビリー・ジョエルは今、アルコール中毒のために引退状態にあり、更正施設へ入ったというような話も聞く。僕のような凡人に天才の苦しみの源を窺い知ることはできないが、「ピアノマン」の復活を願ってやまない。

ニューヨーク52番街